富士には海がよく似合う
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30日の深夜(日付はすでに31日)に自宅を出て、車で大阪にある実家に帰ってきました。いつもは東名高速と名神高速を走り継ぎ、大阪市の北に位置する吹田ICで降りるのですが、今回はちょっとルート変更。
上記のルートは、名古屋から岐阜に向かって北上し、関ヶ原を抜けて琵琶湖の東岸に出、京都、大阪と向かいます。年末年始は寒波が来るという予報ですから、関ヶ原や米原で雪に降られるリスクがあります。それに、大阪市を目指す場合、北側に遠回りする感じなんですよね。
で、愛知県の豊田から、名古屋の海沿いを通って三重の四日市まで続く伊勢湾自動車道に入り、四日市から亀山(シャープの亀山モデルでおなじみ)に向かいました。
亀山で有料道路から降り、名阪国道で奈良へ。この名阪国道、無料の自動車専用道路なので、とってもお得。奈良の天理(天理教の総本山)から再び有料道路にのって実家へ。このルートだと、名神高速が北にふくらむところを、ショートカットするような感じになります。
実際メーターを見ると、30~40キロぐらい走行距離が短縮できています。高速道路代も、名阪国道の分は安くなっているはずです。ガソリン代の高いご時世ですから、とても得した気分です。
このルートを教えてくれた父親によると、大阪-名古屋間のトラックはこのルートを使うことが増えているらしく、平日の昼間はかなりのトラックが走っているそうです。
そんなわけで、実家で正月を過ごす準備は万端です。みなさまも、よいお年をお迎えくださいませませ(^^)/~
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アンコールワットに訪れることを、今回の旅では一番楽しみにしていました。2日間に分けて見学をする予定だったのですが、初日はあいにくの雨で見送り。2日目のみの見学でしたが、とても満足のいくものでした。
まずは予備知識を。9世紀から15世紀頃まで、この地にアンコール王朝がありました。その都に関連する遺跡が、アンコール遺跡と呼ばれています。その範囲は非常に広大で、少なくとも東京23区ぐらいの範囲に及んでいたようです。そのなかで最も有名で美しいといわれるのがアンコールワットです。
上の写真は、バイヨンという寺院の至るところに建てられた石像で、顔は菩薩様です。したがって、バイヨンは仏教のお寺です。日本の菩薩様は木像ですが、アンコールの菩薩様は石像。でもルーツは同じですから、何か感慨深いものがあります。
アンコールの都は、王朝の衰退により放棄されました。隣国のタイが勢力を伸ばし、それに圧迫されて後退したようです。放棄された都は19世紀にフランス人に発見され、現代に生きる私たちの知るところとなりました。下の写真はタプロムと呼ばれる寺院の跡地ですが、巨大な樹木が石の壁を浸食しています。この地が長く放置されていたことを実感できる場所です。
アンコールワットはその外観が有名ですが、中に入ってみると、その壁画は実に手が込んでおり、いったいどれだけの時間と人手をかけて作ったのだろうかと、感心してしまいます。ただ痛みが激しく、修復が繰り返されているとのこと。
下左の写真は、アンコールワット内の女神像。保存状態が良好で、よく見ると細かく表情や装飾が違います。こだわりの職人さんたちの仕事ですね。右の写真は別の場所で撮影した女神像。瞳が光っているように見えるのが、とても印象的でした。
最後にアンコールワットの写真を1枚。水面に映るアンコールワットも美しいです。ただ今回は、修復作業のために緑色のシートがかけられているのが残念でした。しょうがない。また来よう(本気です)。
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私が生まれた1966年の新聞を縮刷版で見ると、ベトナムの文字がそこかしこに掲載されています。アメリカの軍事介入によって、ベトナム戦争が激化の一途をたどっていた時期だからです。1975年4月のサイゴン陥落、すなわち私が滞在したホーチミンが北ベトナム軍によって占拠されるまで、ベトナム戦争は続きました。
写真は統一会堂と呼ばれる建物ですが、サイゴン陥落までは旧南ベトナムの大統領府でした。建物の1~3階には、大統領の執務室や応接室、娯楽室などが保存されており、それは豪勢な作りでした。噴水が印象的な庭を見下ろすと、ずいぶん優雅な生活をしていたんだなあ、と思います。
しかしここは、北ベトナム(社会主義国)が南ベトナム(資本主義国)の総本山として、狙いを定めていた場所でもあります。噴水の向こうに見える門に、戦車が突っ込んでいる写真が、サイゴン陥落の日の様子として展示されていました。
一見優雅な地上部分に対し、地下は生々しいまでに戦争を感じさせるものでした。地下は戦争の作戦室となっており、地図や古い無線機が昔のまま展示されています。下の写真は、大統領が使った作戦司令室と、その部屋に貼ってあった地図です。
北ベトナム軍が刻一刻とサイゴンに迫るなか、息の詰まりそうな地下作戦室で、南ベトナムの首脳たちは何を考えていたのか? そんなことを考えると、胸の鼓動が止まりません。
そのベトナム戦争も、終結以来すでに30年。記憶を風化させまいと、政府は躍起になっていることでしょう。この建物の地上と地下のコントラストの強さも、そういう想いの表れではないかと思います。
そういえば、別の日にフットマッサージをしてもらった女性は、ホーチミン生まれの20歳だと言っていました。彼女にとっては、ベトナム戦争なんて遠い昔話なんでしょう。多くの日本人が、1945年以前を昔話と感じているように。
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ここはHONDAの街である――これがホーチミン(ベトナム最大の都市、旧サイゴン)を歩いて、最初に受けた印象です。
ベトナムではバイクがHONDAと呼ばれ、庶民の主要な交通手段となっていることは、知識としては知っていました。が、しかし、まさかこれほどとは……。
とにかく、数がハンパではありません。道路では車1台に対して、バイク10台ぐらいが常に並走している感じでしょうか。写真を2枚掲載しましたが、これではとても真の迫力が伝わりません。そこで動画も撮ってきたので、こちらをクリックしてください。
>動画をご覧になったみなさん
ねっ、すごいでしょ。クラクションも鳴りまくり。とにかくうるさいんですよ。
また、HONDAは家族の乗り物でもあります。2人乗り、3人乗りは当たり前。よくあるパターンが、父が運転、母が最後部に乗って、子供1人を父母で挟むパターン。私が現地で見た最高は4人乗りでしたが、さらに上があるとの噂も……。
それから、すでにお気づきの方もいると思いますが、ほとんどの人がヘルメットなぞかぶっていません。私、こんなところでは、絶対に車もバイクも運転したくありません。
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10月末はひさびさに日本を脱出する予定です! ベトナムに滞在して、カンボジアのアンコール遺跡もついでに見にいこうと魂胆しています。
ところで、ベトナムは短期の観光であればビザは必要ないのですが、カンボジアは要ビザ。事前に大使館に行かなきゃなあ、と思っていたのですが、e-Visaなるものがあるとか。これなら、わざわざ大使館まで行かなくていいので、かなり楽ですね(注:まだ申請してないです)。
いやはや、便利な世の中になったものです。そういえば、ベトナム往復の航空券購入と、滞在ホテルの予約もネットで済ませていました。6~7年前と比べても、海外旅行に必要な手続きが簡単になった気がします。これで潤沢な資金があれば、もっと海外に遊びに行けるのに(^^;
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広島に行きたいと思ったのは、宮島の厳島神社を1度は訪れたかったから。数年前から考えていたので、ようやく念願が叶いました。
まずは厳島神社のシンボルである大鳥居。社殿の先端、大鳥居に最も近い場所から撮ったのが上の写真です。下の写真は、社殿の奥にある回廊から撮った写真。距離感がわかっていただけるでしょうか?
いずれの写真も8月28日午後12時30分頃に撮影したのですが、かなり潮が引いた状態です。潮が満ちているときは、社殿の下まで海水が来ていて、いかにも水上に浮かぶ神社なのですが、今回はその雰囲気を味わうことができず残念でした。
しかし、潮が引いているのなら、それはそれで楽しみがあります。条件がよければ、大鳥居まで歩いて行けるのです。宮島は他にも見所があるので、ひと回りして帰ってくると、見事に潮が引いていました。時間は午後4時頃。思わずガッツポーズです。
厳島神社が現在の姿になったのは平安時代。それ以前にも同じ場所に神社はあったようですが、これほど豪華な建造物となったのは、時の権力者・平清盛の後押しがあったから。そして時をへだてた戦国時代、この地で起きた厳島の合戦に勝った毛利元就は、これを契機に中国地方の覇権を握りました。
歴史に思いをはせるのに、これほど最適な場所はないでしょう。季節を変え、時間帯を変え、また訪れたいと思います。
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広島旅行の初日、呉の大和ミュージアムに行きました。写真は同ミュージアムのキラーコンテンツである、戦艦大和の1/10模型。NHKの「その時歴史が動いた」でこの模型を見て以来、ずっと実物を見たいと思っていました。
それにしてもデカイ。写真の右後方に写る親子と大きさを比較していただければ、多少は大きさが伝わるかと思います。
そして精巧です。上の写真が艦橋付近の様子ですが、とても丁寧に作り込まれている印象がします。本物との比較ができるような知識は持ち合わせていないのですが、きっと細部にまでこだわった作り方をしているんだと思います。
ついでに、製作者の遊び心も感じます。艦橋の一番上に、双眼鏡を持つ監視係まで置いていますからね。
いやあ、良いものを観ました。満足、満足。
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先日、会津若松に行ってきました。前から行ってみたかったのと、気分転換にとにかく遠出をしたかったのが重なり、自宅を午後3時半に出て、現地に午後8時過ぎ到着、1泊して各所を見学したのち、翌日午後9時過ぎに帰ってくるという強行軍。30時間で運転した距離700キロ……。
幕末の歴史に多少なりとも興味のある方にとって、会津若松が歴史に翻弄された町であることは、いまさら言うまでもありません。そんな歴史の息吹に触れたくて、戊辰戦争で籠城戦が展開された鶴ヶ城、白虎隊の悲劇の地・飯盛山などを見て回りました。
市内から少し離れた場所にある、藩校日新館で弓道を体験させてもらいました。もともとは、今も市内の中心にある鶴ヶ城のすぐそばにあった藩校日新館ですが、往事の姿を再現するために、広い敷地が確保できる現在の場所にあります。敷地面積は何と8000坪。
体験弓道は、先端にゴム製のクッションが付いた矢を射るのですが、こちらはとにかく初体験。ちゃんと飛ぶのかと心配しましたが、係の方の指導のおかげで、簡単に前には飛びました。しかし、右に鋭くカーブしたり、下にストンと落ちたり、野球のボールだったら、プロ顔負けの変化球です。
「いやあ、簡単に的に当てられたら、私らの立場がないからねえ」という係員の言葉に納得しながら、射ること10数回。最後は的のある壁にダイレクトに当たるようになりましたが、的にはかすりもせず。ここらが潮時とやめましたが、よい経験ができました。
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せっかく佐渡に来たのだから、ダイビングだけではもったいない。佐渡金山の見学もしてきました。ダイビング仲間と一緒だったため、見学ルートを数十分で見て回っただけですが、本音のところは、1人で2時間ぐらいかけて、じっくり見たかった。いつかまた、訪れることにしよう。
僕はこの手の史跡に目がありません。特にお城は大好き。初めて行く都市は、必ず城跡の有無をチェックします。県庁所在地クラスの都市は、たいてい江戸時代の城下町が原型になっており、仕事や旅行などで訪れた場合は、時間の許す限り足を運びます。
天守閣が再建されて、いかにもお城となっているところも好きですが、建物がなく、ただ公園として整備されているような場所でも、結構楽しめます。城の縄張り(設計のこと)をした人たちが、どんな思いを込めて、この地に、このような形の城を築いたのかと考えると、それだけでその都市に強い親しみを覚えます。
佐渡金山に話を戻しましょう。今回の見学で、「へぇーっ、意外!」と一番強く感じたのは、佐渡金山の採掘が、平成元年まで続いていたことです。僕はてっきり、江戸時代後期には産出量が減って、明治時代には採掘をやめたと思っていました。江戸幕府から、幕府直轄地の佐渡金山を引き継いだ明治政府は、明治29年に三菱合資会社に払い下げ、以後は民間で採掘が続けられてきたわけです。三菱マテリアルのウェブサイトに、バーチャル佐渡金山ツアーなるものもありました。
それにしても、恐るべし、佐渡金山、そして黄金の国ジパング。
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