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千秋楽の歌舞伎座

昨日は歌舞伎座に足を運びました。日曜日の、吉例顔見世大歌舞伎の千秋楽ということで、気のせいか会場内の空気がうきうきしている印象でした。2月の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」では上演されなかった「九段目・山科閑居」を目当てに行きましたが、期待どおり見応えたっぷりの舞台でした。

まったくの余談ですが、有名人を2人目撃。1人は女優の富司純子さん。旦那さん(尾上菊五郎丈)と息子さん(尾上菊之助丈)が出演していましたから、意外感はなかったですね。顔見知りらしき人たちが、「千秋楽おめでとうございます」と声をかけると、笑顔で挨拶をされていました。

もう1人は白髪の紳士。後ろ姿を見て「おやっ?」と思い、あとでお顔を拝見すると日銀総裁でした。奥様(らしき人)と一緒で、こちらも白髪が似合うご婦人でした。歌舞伎見物で英気を養って、しっかり金融の舵取りをして欲しいものです。

以上、ただそれだけなんですけどねって感じの話でした。

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姪っ子

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最近、お腹の出たオジサンの写真が当ブログに掲載され、不愉快な思いをされた方もいるでしょう。そこで、お目々直しに(こんな言葉あるのか?)、1歳半の姪っ子の写真をお楽しみください。

現在の彼女は男性恐怖症で、パパ以外の男の人が近づくと逃げます。彼女が生まれてから、4~5回しか会っていない私なんか、完全に知らないオジサンです。先日実家に帰ったとき、無理矢理抱こうとしたら、「おっちゃんがつかまえる~!」と、ママに告げ口をする始末……_| ̄|○

でも、かわいいから許すんですけどね。

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放棄された都/カンボジア旅行記その1

アンコールワットに訪れることを、今回の旅では一番楽しみにしていました。2日間に分けて見学をする予定だったのですが、初日はあいにくの雨で見送り。2日目のみの見学でしたが、とても満足のいくものでした。

まずは予備知識を。9世紀から15世紀頃まで、この地にアンコール王朝がありました。その都に関連する遺跡が、アンコール遺跡と呼ばれています。その範囲は非常に広大で、少なくとも東京23区ぐらいの範囲に及んでいたようです。そのなかで最も有名で美しいといわれるのがアンコールワットです。

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上の写真は、バイヨンという寺院の至るところに建てられた石像で、顔は菩薩様です。したがって、バイヨンは仏教のお寺です。日本の菩薩様は木像ですが、アンコールの菩薩様は石像。でもルーツは同じですから、何か感慨深いものがあります。

アンコールの都は、王朝の衰退により放棄されました。隣国のタイが勢力を伸ばし、それに圧迫されて後退したようです。放棄された都は19世紀にフランス人に発見され、現代に生きる私たちの知るところとなりました。下の写真はタプロムと呼ばれる寺院の跡地ですが、巨大な樹木が石の壁を浸食しています。この地が長く放置されていたことを実感できる場所です。

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アンコールワットはその外観が有名ですが、中に入ってみると、その壁画は実に手が込んでおり、いったいどれだけの時間と人手をかけて作ったのだろうかと、感心してしまいます。ただ痛みが激しく、修復が繰り返されているとのこと。

下左の写真は、アンコールワット内の女神像。保存状態が良好で、よく見ると細かく表情や装飾が違います。こだわりの職人さんたちの仕事ですね。右の写真は別の場所で撮影した女神像。瞳が光っているように見えるのが、とても印象的でした。

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最後にアンコールワットの写真を1枚。水面に映るアンコールワットも美しいです。ただ今回は、修復作業のために緑色のシートがかけられているのが残念でした。しょうがない。また来よう(本気です)。

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戦争の証人・サイゴン/ベトナム旅行記その2

私が生まれた1966年の新聞を縮刷版で見ると、ベトナムの文字がそこかしこに掲載されています。アメリカの軍事介入によって、ベトナム戦争が激化の一途をたどっていた時期だからです。1975年4月のサイゴン陥落、すなわち私が滞在したホーチミンが北ベトナム軍によって占拠されるまで、ベトナム戦争は続きました。

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写真は統一会堂と呼ばれる建物ですが、サイゴン陥落までは旧南ベトナムの大統領府でした。建物の1~3階には、大統領の執務室や応接室、娯楽室などが保存されており、それは豪勢な作りでした。噴水が印象的な庭を見下ろすと、ずいぶん優雅な生活をしていたんだなあ、と思います。

しかしここは、北ベトナム(社会主義国)が南ベトナム(資本主義国)の総本山として、狙いを定めていた場所でもあります。噴水の向こうに見える門に、戦車が突っ込んでいる写真が、サイゴン陥落の日の様子として展示されていました。

一見優雅な地上部分に対し、地下は生々しいまでに戦争を感じさせるものでした。地下は戦争の作戦室となっており、地図や古い無線機が昔のまま展示されています。下の写真は、大統領が使った作戦司令室と、その部屋に貼ってあった地図です。

北ベトナム軍が刻一刻とサイゴンに迫るなか、息の詰まりそうな地下作戦室で、南ベトナムの首脳たちは何を考えていたのか? そんなことを考えると、胸の鼓動が止まりません。

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そのベトナム戦争も、終結以来すでに30年。記憶を風化させまいと、政府は躍起になっていることでしょう。この建物の地上と地下のコントラストの強さも、そういう想いの表れではないかと思います。

そういえば、別の日にフットマッサージをしてもらった女性は、ホーチミン生まれの20歳だと言っていました。彼女にとっては、ベトナム戦争なんて遠い昔話なんでしょう。多くの日本人が、1945年以前を昔話と感じているように。

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HONDAの街/ベトナム旅行記その1

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ここはHONDAの街である――これがホーチミン(ベトナム最大の都市、旧サイゴン)を歩いて、最初に受けた印象です。

ベトナムではバイクがHONDAと呼ばれ、庶民の主要な交通手段となっていることは、知識としては知っていました。が、しかし、まさかこれほどとは……。

とにかく、数がハンパではありません。道路では車1台に対して、バイク10台ぐらいが常に並走している感じでしょうか。写真を2枚掲載しましたが、これではとても真の迫力が伝わりません。そこで動画も撮ってきたので、こちらをクリックしてください。

>動画をご覧になったみなさん

ねっ、すごいでしょ。クラクションも鳴りまくり。とにかくうるさいんですよ。

また、HONDAは家族の乗り物でもあります。2人乗り、3人乗りは当たり前。よくあるパターンが、父が運転、母が最後部に乗って、子供1人を父母で挟むパターン。私が現地で見た最高は4人乗りでしたが、さらに上があるとの噂も……。

それから、すでにお気づきの方もいると思いますが、ほとんどの人がヘルメットなぞかぶっていません。私、こんなところでは、絶対に車もバイクも運転したくありません。

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帰国

帰国しました。2日の朝に成田到着。旅行中は体調万全だったのですが、帰りの飛行機で少々気分が悪くなり、夜になってようやく元気が出てきました。

ベトナム、カンボジアともに初めて訪問した国なので、見るもの聞くものがどれも新鮮でした。それらはおいおい報告するとして、まずはアンコールワットをバックにした写真を1枚。雨季のため曇天が多い時期なのですが、この日は陽が差す時間が長く、お天気に恵まれました。

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